
竹宮惠子/マンガ家・京都精華大学マンガ学部長
1950年徳島県徳島市生まれ。17歳のとき、集英社「マーガレット」の新人賞に佳作入選、デビューを果たす。同じ頃「COM」の月例新人賞を受賞。徳島大学在学中、小学館「週刊少女コミック」に『森の子トール』を連載開始。
代表作には『地球へ…』『風と木の詩』『イズァローン伝説』などがあり、1980年には『地球へ…』が劇場版アニメ化される。2000年4月より京都精華大学芸術学部(現・マンガ学部) マンガ学科の専任教授に就任。2008年には学部長に就任。2000年秋より毎年、京都・東京にて原画展示の個展を開催している。
また、大学での研究として「原画’」を発表。2003年より各作家さんに広く呼びかけ「原画’展」を毎夏、企画開催。貴重な原画の保存・公開に務めている。
1950年徳島県徳島市生まれ。17歳のとき、集英社「マーガレット」の新人賞に佳作入選、デビューを果たす。同じ頃「COM」の月例新人賞を受賞。徳島大学在学中、小学館「週刊少女コミック」に『森の子トール』を連載開始。
代表作には『地球へ…』『風と木の詩』『イズァローン伝説』などがあり、1980年には『地球へ…』が劇場版アニメ化される。2000年4月より京都精華大学芸術学部(現・マンガ学部) マンガ学科の専任教授に就任。2008年には学部長に就任。2000年秋より毎年、京都・東京にて原画展示の個展を開催している。
また、大学での研究として「原画’」を発表。2003年より各作家さんに広く呼びかけ「原画’展」を毎夏、企画開催。貴重な原画の保存・公開に務めている。
私が京都に来たのは今から約10年前、牧野圭一先生(京都精華大学マンガ学部前学部長)に声をかけていただいたことがきっかけである。私の作品にファッションブランド・エルメスの約160年にわたる歴史をマンガ化した「エルメスの道」があるのだが、同書を見て「自分の主張するメッセージを描くだけでなく、他者の物語を上手く伝えることのできるマンガ家は、きっと教えるのに適したタイプの人間」と感じていただけたとのことだった。ストーリーマンガを教えるコースが京都精華大にできた際には是非来て欲しい、と言っていただいた。私は小学生のころから教えることが好きで、自分の知っていることを人に伝えたいという衝動が強く、グループ学習などが大好きだった。だが、さすがにマンガは教えることは出来まいと思っていた。それが今こうしてマンガを教える場所ができたことは思いがけなくも夢が叶ったというものだ。
京都で教えている、ということについても嬉しさを感じている。とても居心地が良い場所だ。雅な雰囲気や言葉遣いの柔らかさが似ているからなのか、生まれ故郷の徳島とどこか通じているところがあるように感じる。また京都という地域は街の中に河が通り、すぐ近くには里山がある。自然を身体で感じられる場所にいるということは、心の中にある原始的なものが呼び起こされ、非常に幸せなことである。このような場所こそ子供たちにとって、本来の人間教育に適しているのだ思う。私は子供の頃、流れる川を眺めているだけで様々な好奇心が沸いたものだ。「中州の形はいつも変わっている」「鷺には色々な種類がある」etc…いろいろなことに想いを馳せる事が楽しかった。京都に住む子供たちは幸せだ、と心から思う。
とはいえ、私には今も様々な好奇心が詰まっている。いったん興味をもったら、いつまでも興味を持ち続け、例えば宇宙科学について様々な視点からいつのまにか深く調べるようになる。すると、ふと生活との結びつきが見えてくる。自分の知識がストーリー化される。そうなると伝えずにはいられない。描かずにはいられない。そして「自分が気づいたこと」を伝えなければと思う。マンガという媒体はドキュメンタリーと違い、極端な設定でストーリーをリアルに描くことができる。そして極端な設定の中でこそ、真理を見せることができると思う。読者も事実じゃない、とわかっているから楽しめる。そして真理を読み込もうとしてくれるのだと思う。

日本はストーリーマンガの歴史が深く、今やとても日本人にとって身近な存在となった。そして豊かな情報がぎっしりと詰まっている日本の素晴らしいマンガは世界に発信され、ヨーロッパやアメリカなど外国の方も愛してくれるようになっている。ここ3、4年で日本のひとつの文化として定着してきたように感じる。非常に喜ばしいことだと思う。
マンガと京都の魅力は「アナログ感」があるという点で通じている。マンガは人の手で描かれた肉感的な部分があり、京都という場所は伝統・歴史を重んじて「残す」ことを大切にしている。京都国際マンガミュージアムも昭和4年建造の小学校校舎の佇まいを残しつつ、新しくアレンジして作られた。COCON烏丸も古くからのビルを再生して作られたとのこと。緑色のファサードが目立っていてとても見つけやすく、先生方との待ち合わせ場所として使いそのまま地下で一緒に食事を楽しむことが時折あるのだが、こうした「アナログ感」ただよう施設だからこそ、ひときわ存在感を放っていたのかも知れない。
