千田愛子/KIRA KARACHO
唐長11代目当主である千田堅吉の長女。夫であるトトアキヒコとともに、唐長を世界と後世に伝えるための活動をしている。当主自らが唐長のDNAとしての色感覚を一番受け継いでいると認める感性を活かし、現代の暮らしに合う唐紙の在り方やココン烏丸内ショップのKIRA KARACHOブランドのプロデュースを手がけている。
夢は、夫と共に、京都に唐長美術館をつくること。その準備段階として、唐長サルヤマサロンを夫婦でオープンし企画展を開催したり、他者とさまざまなコラボレーションを取り組んだりしている。今後は、夫婦で開催する展覧会なども京都内外で手がけつつ、唐長の美術性を伝え、唐長美術館への道のりを歩もうとしている。その道のりについて記している夫トトアキヒコのブログ: kira karacho
唐長11代目当主である千田堅吉の長女。夫であるトトアキヒコとともに、唐長を世界と後世に伝えるための活動をしている。当主自らが唐長のDNAとしての色感覚を一番受け継いでいると認める感性を活かし、現代の暮らしに合う唐紙の在り方やココン烏丸内ショップのKIRA KARACHOブランドのプロデュースを手がけている。
夢は、夫と共に、京都に唐長美術館をつくること。その準備段階として、唐長サルヤマサロンを夫婦でオープンし企画展を開催したり、他者とさまざまなコラボレーションを取り組んだりしている。今後は、夫婦で開催する展覧会なども京都内外で手がけつつ、唐長の美術性を伝え、唐長美術館への道のりを歩もうとしている。その道のりについて記している夫トトアキヒコのブログ: kira karacho
京都という土地は、私の五感を刺激する。
歴史に裏打ちされ洗練を重ね、今なお生き続ける文化の数々が身の回りにたくさんあることと、自然に囲まれたこの京都が大好きだ。
私は、文様と色の世界に身をおいて仕事をしていることもあり、道行く先々でさまざまな色が目にはいってくる。見渡せばいつでも自然が目に入ってくるし、歩いていても車に乗っていても、愛する自然の色が目に飛び込んでくる。山の木々が色づいてきたなぁと思いながら、空の色合いとのコントラストを楽しむ…そういう日常の風景が唐紙をつくるときに、色彩感覚として呼び覚まされるのである。
唐紙の美しさを感じる心は、日常のささやかな幸せを感じる心と相通じるものがあるのではないだろうかと思っている。
山も川も街も、見上げればひとつの空の世界のもと調和されている。
絶え間なく変化し続ける空…全てを包み込むその広大さに人々は守られているのだ。
歴史に裏打ちされ洗練を重ね、今なお生き続ける文化の数々が身の回りにたくさんあることと、自然に囲まれたこの京都が大好きだ。
私は、文様と色の世界に身をおいて仕事をしていることもあり、道行く先々でさまざまな色が目にはいってくる。見渡せばいつでも自然が目に入ってくるし、歩いていても車に乗っていても、愛する自然の色が目に飛び込んでくる。山の木々が色づいてきたなぁと思いながら、空の色合いとのコントラストを楽しむ…そういう日常の風景が唐紙をつくるときに、色彩感覚として呼び覚まされるのである。
唐紙の美しさを感じる心は、日常のささやかな幸せを感じる心と相通じるものがあるのではないだろうかと思っている。
山も川も街も、見上げればひとつの空の世界のもと調和されている。
絶え間なく変化し続ける空…全てを包み込むその広大さに人々は守られているのだ。
唐長文様「天平大雲」に覆われたココン烏丸のファサードには、そんな願いもこめられている。
修学院で私が10年以上つづけてきた千田愛子の文様と色の世界を唐紙のカードや小物で伝えてきたものを、足の便の良い四条烏丸の場へ移した唐長の試みが2004年のこと。
修学院で私が10年以上つづけてきた千田愛子の文様と色の世界を唐紙のカードや小物で伝えてきたものを、足の便の良い四条烏丸の場へ移した唐長の試みが2004年のこと。

烏丸通から見た唐長文様「天平大雲」を用いたココン烏丸のファサード
現在、カードの他いろいろなギフト商品を展開しながら、唐長文化を伝えるための入口として役割を担っているのだが、この京都という土地とともに、私に大きな影響を与えてくれるのは公私ともパートナーである夫の存在が大きい。
彼の思想や感性の織りなす世界観は、私の世界観を大きく広げ可能性をもたらしてくれる。
私の唐紙づくりや発想にも影響を与え、とりわけ、精神性や詩的な感覚は、私にとって尊敬すべきところでもある。唐長においても、当主である父をのぞけば、別格とも言える感覚の持ち主であり、面白く、また、本人同士は決して認めないだろうが、娘の私から見て、どことなく父に似ているところが、なおさら面白いのだ。
近頃、そんな夫が、「星に願いを」という唐紙を額装したシリーズをつくりはじめた。昔、父から夫が譲り受けた作品で父独特の色使いと空気感を発しているものがある。
彼の思想や感性の織りなす世界観は、私の世界観を大きく広げ可能性をもたらしてくれる。
私の唐紙づくりや発想にも影響を与え、とりわけ、精神性や詩的な感覚は、私にとって尊敬すべきところでもある。唐長においても、当主である父をのぞけば、別格とも言える感覚の持ち主であり、面白く、また、本人同士は決して認めないだろうが、娘の私から見て、どことなく父に似ているところが、なおさら面白いのだ。
近頃、そんな夫が、「星に願いを」という唐紙を額装したシリーズをつくりはじめた。昔、父から夫が譲り受けた作品で父独特の色使いと空気感を発しているものがある。

夫はそれを家宝だと大事にしそれを毎日かかさず眺め続け、日々の中からいろんな父の言葉を拾い集め、ある日、機が熟したかのように、ふいに手がけはじめたものだ。実際のレクチャーを一度も受けることなどなかった夫のこの唐紙をはじめて見たときの驚きと感動を私は生涯忘れないだろう。
実際は、似て非なるものではあるが、父の存在がインスピレーションになっていることは事実であり、夫が手がけた唐紙が、彼の理想とする音なき音を醸し出す美しい心ある唐紙であることにも、まちがいない。
唐紙の美しさは、文様の世界観と物語、板木に潜む大切な先人たちの魂をうつしとってこそ、人に何かしら感動を与えるモノとして呼吸しはじめるのだ、と常日頃語っている夫は、400年連綿と続いてきた先人たちの魂と会話しつつ、現当主である父の背中を追いかけているのかもしれない…
こういう家業のカタチが、私にとっては、京都の象徴でもある。
唐紙の美しさは、文様の世界観と物語、板木に潜む大切な先人たちの魂をうつしとってこそ、人に何かしら感動を与えるモノとして呼吸しはじめるのだ、と常日頃語っている夫は、400年連綿と続いてきた先人たちの魂と会話しつつ、現当主である父の背中を追いかけているのかもしれない…
こういう家業のカタチが、私にとっては、京都の象徴でもある。
