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2011/09/07

Vol. 34「京都:伝統と新しさのバランスの妙」吉川 左紀子

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吉川左紀子(よしかわ・さきこ)/京都大学こころの未来研究センター長
北海道生まれ。77年、京都大学教育学部教育心理学科卒業、82年、同大学院教育学研究科博士課程認定退学。89年、追手門学院大学文学部助教授、同年、英国ノッティンガム大学客員研究員に。97年、京都大学教育学部助教授、02年、同大学院教育学研究科教授、07年、京都大学こころの未来研究センター設立と同時にセンター長に就任。専門は認知心理学、認知科学。教育学博士。著書に「よくわかる認知科学」「顔と心―顔の心理学入門」(いずれも共著)など。社会の中から研究テーマを見出し、その研究成果を社会に還元する―を信条に、センターをけん引する。

 私の両親はともに関西出身で、父は大阪生まれ、母は奈良生まれ。戦後、京大工学部を出て北海道の製紙会社に就職した父は、実家でお見合いをして母と結婚し、ふたりで北海道に渡りました。当時、大阪から北海道までは汽車と連絡船を乗り継いで2日がかりの旅だったそうです。親戚からは「北海道はソ連(現ロシア)の領土になってしまうかもしれない」と本気で心配された、と母から聞きました。でも父と母は、気候の厳しい新天地での生活を、けっこう楽しんでいたように思います。私は小さい頃、両親にせがんでおもちゃの刀を買ってもらい男の子とちゃんばらごっこをするような、やんちゃな子どもだったんですが、両親から「女の子らしく」とか「女の子なんだから」と言われた記憶がない。今思えば、かなり進歩的な考え方の親だったと思います。大学に入ってからフェミニズムや男女同権といったことをよく耳にするようになりましたが、あまりぴんとこなかった。女性だから生きにくいといった実感がなかったんですね。大学院に進むときや、研究者として仕事に就くと言ったときも、両親は黙って何も言いませんでした。

 そういえば、数年前に、ふと思い立って著名な手相見の方に手相を見てもらったことがあって、おもしろいことを言われました。その方は手相から「たましい年齢」というのを読みとるんです。たましい年齢というのは、その人がもって生まれたこころの年齢で、小さい頃からずっと変わらない(らしい)。私の手を一目見て、たましい年齢は40歳(男性)と18歳(女性)です、と言われました。男性と女性の2つのたましいが同居していると言われてちょっとびっくりしましたが、妙に納得できておもしろかった。それが両親の教育の賜物なのか、両親から受け継いだ何かなのかはわかりません。おそらくその両方が、今の私の生き方や価値観をつくっているように思います。
 高校2年生の時、父の転勤で成蹊高校という東京の私立高校に転校しました。小学校から大学までの一貫教育、一言でいえばおしゃれな都会の高校です。同級生には首相になった安倍晋三さんがいました。制服がありましたし、派手というわけではなかったのですが、北海道の素朴な高校の雰囲気とは全く違っていて、東京での生活は、何となく「自分の場所」という感じがしなかった。京都大学のことは父親からいろいろ話を聞いていましたし、昭和30年代から40年代の北海道で育った私にとって、京都はずっと「あこがれの都」だったんです。それで、大学は京都へ・・・ようやく話が京都につながりました(笑)。
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(上)両親と社宅の庭先で。(下)姉と一緒に。
 身近に古い神社仏閣を見る機会がほとんどない北海道育ちの人間から見ると、京都はほんとうに、特別な場所なんですよ。大学に入ったころは、京都のガイドブックを買って、東京から遊びにきた姉といっしょによくお寺や神社を訪ねました。京都の人には見慣れた風景かもしれませんが、町のあちこちにお地蔵様が祀られて地域の人たちが大切にしていますよね。お花や水が供えられて、通りかかった人が手を合わせていることもよくあります。京都育ちの学生と話をしていて、「京都の人たちは、お地蔵さまを本当に大切にしてるよね」と言ったら、「先生、それは違いますよ。お地蔵さまが私たちを護ってくれているから、お礼の気持ちでお参りしてるんですよ」とさらっと言われました。それを聞いたときに、ああ、こういう感覚は私にはなかったなあ、とつくづく思いました。考えてみると、千数百年もの長い間、京都の人たちはこの地で神様や仏様と一緒に暮らしてきたわけです。そうした文化の層の厚さは、日本の他の町にはありません。改めて考えてみると本当にすごいことだと思います。

 COCON KARASUMAの周辺は、銀行が集まる京都のオフィス街ですが、ほかの大都市のオフィス街とは違い、ひとつひとつのビルの外観にも味わいとこだわりがあって好きですね。ちょっと通りから路地の奥に入ると、雰囲気のある昔ながらの町家が、コーヒーのおいしい喫茶店だったり、イタリアンレストランだったり。古くからあるお店はもちろんですが、新しいお店でもそれぞれに個性があり、歩いていて飽きません。イタリアのボローニャでしたか、狭い路地の奥に古い石造りの家を改装した素敵な画廊や陶器のお店が並んでいて、歩いていて何とも表現しがたい感動を覚えたことがあります。歴史の厚みが身体に浸みてくる感じとでもいうのか。京都の町家のたたずまい、落ち着いた風情も同じようにすばらしい。

 それともうひとつ、京都の良さだと思うのは、新しいものを拒まないところ。京都には大学がたくさんあるので若い人たちが多いこともその理由かもしれません。このバランス感覚が、これからの京都にとってますます大事になるだろうなと思います。私は、古いものと新しいものの、調和のとれた共存という京都のスタンスというか、柔軟性が、日本人全体の価値観として定着するといいなあと思っているんです。うっかりすると、日本では古いものはすぐに邪魔者扱いされて、すっかり新しいものに入れ替えてしまうようなことも多いですから。

 私の専門の心理学の話をしますね。今は、認知心理学の分野で表情認知やコミュニケーションの基礎研究をしていますが、もともと心理学に関心をもった出発点は臨床心理学でした。もうずいぶん前になりますが私が学部生だった頃、教育学部でユング心理学の河合隼雄先生が行っていた講義がとても刺激的でおもしろかったのです。授業のときは教室がいつも超満員で、熱気にあふれていました。その後、自分にはカウンセラーのような仕事は無理だなあと思って認知心理学を専攻することにしたのですが、河合先生は「臨床は社会経験をつんでから始めてもぜんぜん遅くない。欧米の臨床家にはそういう人が多い。またどこかで出会えますよ」と励ましてくれました。それから30年近くたって、今、こころの未来研究センターで、臨床心理学の先生たちと一緒にカウンセリング対話の研究を進めています。若い頃の希望が今になって叶えられているというのが、不思議なめぐり合わせだなあという気がします。
 心理学というのは何をやっているのかよく分からない(笑)、と言われることが多いんです。いろいろ理由はあると思いますが、大学の中でも、心理学の研究室はいろんな学部に散らばっていて、ひとつにまとまっていないんですよ。なんとなくいろいろやっているけれども統一感がないというか、とくに国立大学はそうですね。臨床心理学と、こころの「くせ」を科学的に調べようという実証系の認知心理学ともずっと接点がなかった。

 それがこの10年ほどの間で、急速に変わってきました。心理学は今、大きな変化の時期にきていると思いますね。ひとつには、脳科学が発展して心理学とは「車の両輪」のような関係になってきたことがあります。それと同時に、社会の中にある「こころへの関心」にしっかり答えるような研究をしていこうという意識も強くなりました。よりよい生き方につながるこころのありかたとは、といったような、今までは話題にものぼらなかったことが、研究者の間で真剣に議論されるようになってきたんです。こころの未来研究センターのような学際研究の場にいると、そうした時代の変化が肌で感じられます。世間の人たちからみれば「今ごろですか」と怒られそうですが・・。センターができて5年、新しい発想のこころの研究を、京都から世界に発信してゆきたいですね。

唐長文様「天平大雲」